このろくでもない、素晴らしき世界。

龍馬伝」が面白いのです。


私は幕末の歴史をよく知りません。だから龍馬も半平太も以蔵もこのドラマでの印象が強く植えつけられています。史実に則って映像化していても、役者の見た目・声・台詞回しなどが違えば、同じ人物でも受ける印象が違ってくると思うのです。だから中には龍馬や半平太、以蔵はこうじゃないよ!っていう人もいると思うんだけど、私はこのドラマの描かれ方を鵜呑みにしてます。


今週見ていて「半平太ひどいよ!」って思わずにはいれなかったです。
あんな目が綺麗で純朴で素直な以蔵にあんなことさせるなんて!そりゃ直接的に言ったわけではないけれど、それでも以蔵の気持ちを利用した半平太ひどいよ!って思いました。「人斬り以蔵」という名前は聞いたことがあって、この言葉だけ聞くと血も涙もない殺人鬼みたいだったけど、健くんの以蔵はもがき苦しんで居場所を探していたよ!(そして辿り着いた答えが「それ」だったのだけれど・・・)


そんな以蔵に殺人を仕向けた半平太。
最初は人のいい優しい頼りになる道場主だったのに、遠いところに来てしまったな・・・。
自分は人とは違うんだ、偉いんだ、という自己顕示欲が強くて、自己顕示欲が強いくせにそうじゃないよ、国のためだよ、って欺いている。こういう人は他人の評価に左右されない龍馬みたいな子が羨ましくも妬ましくてしょうがないだろうな。
信念とか理想とか他人から見た自分の評価に雁字搦めになって身動き取れなくなって、気持ちに余裕もなく、半分狂ってるような半平太の狂気が大森南朋の演技から感じとれて、この人がどうなってしまうのか(どう見ても悲劇しか待ち受けてないだろう!)見ているのが辛いです。


福山の演技はうまいも下手もないと思ってました(ひとつ屋根の下とか見てたけどその頃の演技と変わらないなと。良くも悪くも福山の演技だなと思ってた)。ところが今回の演技はちょっと見直した。
脱藩して九州へ行って大阪にやって来た龍馬は、顔こそ今までどおりの笑顔でしゃべり方も快活だったけど、まとう雰囲気はどこかしら擦れてしまっていた。それは脱藩して自分のルーツを失ってしまったことや、薩摩の排他主義を目の当たりにしたり、不安な国内情勢などが龍馬の精神を荒んだものにしてしまったのかな、と思いました。そういう見た目は快活なのにどこか荒んでしまった龍馬、というのがその演技から滲み出ていて、福山すごい!って思いました(まぁ荒んだと感じとったのは私だけで、見る人によっては大人になったとかプラスの印象を受けた人もいると思うけど、私の目にはあんなにキラキラしてたのに、龍馬、擦れてしまったな・・・と見えた)。


普段はへらへらして深刻にならないようにしているくせに、瞬間的に真面目な顔になる、そんな頭のいいキャラが大好きなので、弥太郎と久しぶりの再開を喜んでいたのもつかの間、弥太郎の言葉に笑顔を引っ込め真剣な顔で「土佐に帰れ!」と言ったときの龍馬にはぞくっとしました。龍馬になんの思い入れもなかったんですけど、この場面を見て龍馬素敵!って思った。


脚本や演出の素晴らしさを超えて、福山が役を演じるを超える瞬間が見れるかもと思った回でした。